あれから10年

朝早く,それまで経験したことのない大きな揺れで起された.目の前でタンス
がぐらぐらゆれてたので,抑えてたら親に「そんな事してんとはよ逃げなさい」
といわれ,初めて夢でないことに気付いた.地震で起されたのは後にも先にも
あの時だけだ.
被害はなかったので,とりあえず学校ヘ行く事にした.鶴橋駅では,会社ヘ連
絡するためか,携帯を使ってる人が何人かいたが,つながらないみたいで,公
衆電話に並ぶ列ができていた.「携帯は災害時は役に立たない」という事をこ
の時学習した.
交通機関の都合で,登校してきた人数は生徒教師含めていつもより少なかった
ものの,休校にはならず皆がっかりした.地震直後のラジオでは,「あわてて
家からでてきた老婆がこけてけがをした」等の情報しかなかったので,大した
ことないと思ってたが,午後の時点で死者3000人という情報が流れた.
そんな事を聞いても,我々受験生としては,「灘の奴等が神戸大に流れるかも」
「じゃあ阪大が狙い目やな」とかそういう事ばっかり喋ってた.何しろ前日は
センター試験で,皆進路の事で頭が一杯だったのだ.とはいえ試験会場は宝塚
付近だったので,もし当日地震があったらどうなってたのだろう?という事も
よく喋った.
それから当分は非常食を買ったり災害時の連絡手段を考えたり(当時インター
ネットというものを知らなかった)していたが,喉元すぎれば何とやら,での
んべんだらりと今に到る.壊中電灯は常に手の届く場所においてあるが,それ
は今住んでる地域に停電が多いせいで,あまり関係ない.